2007年 06月
チンギス・アイトマートフ -キルギスの知性- [2007-06-11 22:47 by satotak]

2007年 06月 11日
チンギス・アイトマートフ -キルギスの知性-
[1]
アイトマトフ | Chinggiz Aytmatov[クルグズ]|Chingiz Aitomatov[ロシア] | 1928-
クルグズスタンの作家.タラス州の農村に生まれ,祖母らからクルグズ民話を,母からロシア文学を教わりながら育った.父トロクルは共産党幹部だったが1938年に処刑された.53年クルグズ農業大学卒,畜産技師として働く.

共同体の規範に背いて出征兵士の夫を捨て恋を貫く女性の物語《ジャミラ》(1958)で名声を得,これを収録した《山と草原の物語》(1962)でレーニン賞受賞.作品の多くは,クルグズスタンとカザフスタンの自然と生活の絵画的な描写と,教訓的・寓意的・悲劇的な内容を特徴とする.初期はおもにクルグズ語で短編・中編を書いたが,60年代後半以降はロシア語でおもに長編小説を書く.《一世紀より長い一日》(1980〉はソ連戦後史の暗部を描き,作中の伝説に登場する〈マンクルト〉は,民族的伝統を失った人々をさす言葉として中央アジアで流行した.その他の代表作に《白い汽船》(1970),《処刑台》(1986),《カッサンドラの烙印》(1994)などがあり,多くが日本語に訳されている.映画の脚本作品も多い.

ソ連大統領会議メンバー(1990),ソ連(のちロシア)の在ルクセンブルク大使(1990-93),クルグズスタンの在ベネルクス3国大使(1994- )を務めるなど,政治家,外交官としても活躍.子のアスカルはクルグズスタン外相(2002- ).
(「中央ユーラシアを知る事典」(平凡社 2005)より(筆者:宇山智彦))


[2]
「いとしのタパリョーク」 訳者あとがき
キルギス共和国生まれの、現代ロシア文学を代表する作家チンギス・アイトマートフ(1928- )は、1957年、「セイデの嘆き』(原題は『面と向かって』)でロシアの文壇にデビューする。この作品は脱走兵を匿い続けた妻が、夫の人間性の喪失に耐えかねて、やがて官憲に夫を突き出すというショッキングな幕切れで、物議をかもした。
翌年発表された『ジャミーリャ』では、因習を打ち破って愛を貫く女性の姿を詩情豊かに描きだし、フランスの詩人から「世界一美しい愛の物語」という絶賛を浴びる。
そして61年、この『いとしのタパリョーク』(原題は「赤いスカーフをした、私のタパリョーク』)によってレーニン文学賞(当時の国家最高文学賞)を受賞する。この初期三部作によって、アイトマートフは作家としての地位を不動のものとする。

『セイデの嘆き』が人間の倫理観を強調したのに対し、『ジャミーリャ』では純粋な男女の愛を謳いあげたが、『いとしのタパリョーク』では、より複雑で現実的な両者の止揚が試みられている。つまり、男女の情愛を越え、それをも抱合する人間の愛情が描かれているのである。
「セイデの嘆き』がアンハッピー・エンドで、「ジャミーリャ』がハッピー・エンドであるとするなら、「いとしのタパリョーク』はナチュラル・エンドと言えるだろう。一人ひとりが人生の痛みを抱いて生きていく――これが生の実相だとでも言わんばかりの、作者の声が聞こえてきそうである。その後、彼は恋愛小説を卒業する。

アイトマートフは、知識人の国際会議「イシク=クーリ・フォーラム」と「アイトマートフ金の文学賞」を主催している。また、ペレストロイカの頭脳の一人として、ソ連大統領ゴルバチョフを支え、ソ連崩壊後にはキルギス共和国の初代大統領に推されたが、固辞した。現在は、キルギス共和国のベネルクス三国担当の大使として、ブリュッセルに在住している。前記代表作のほか、『最初の教師』、『母なる大地』、『白い汽船』、『一世紀より長い一日』、『処刑台』、『チンギス・ハンの白い雲』、『カサンドラの烙印』など、多数の作品がある。


さて、かつてこの作品が映画化された時のこと。当時の助監督の話しによると、峠でのロケ中に野次馬がいるのに気づき、危ないので立ち去るように命じたら、その男は素直にその場を立ち去ったという。

あとでそれが、他ならぬ原作者と知って、助監督は冷や汗が出たと述懐している。アイトマートフは、撮影の邪魔をしてはいけないと思って言う通りにしたと、後に語っている。彼の人柄を髣髴させるエピソードである。


1998年の晩秋、私は初めてアイトマートフに会った。当時、彼の文学についての論文を書き終えた私は、知人の紹介で、多忙な作家を東京のホテルに訪ねたのだった。会って拙論を手渡すと、私は矢継ぎ早に鋭い質問を浴びせられ、まるで論文の審査を受けているような気分になった。

とにかく一つの質問と、一つの要望、そして一つの許可をもらうことを考えて会見の場に臨んだ私は、まず、こう質問を発してみた。
「あなたにとって、男女の愛とは何ですか?」
「《贈り物》、そして《試練》。愛があるから、人は成長できる」
間髪を入れない明快な解答であった。その内容もさることながら、青臭い質問にこれほどまで明確に、何の逡巡もなく、齢七十を過ぎた人間が即答できるなんて、私には脅威であった。その語り口に私は素直に感動した。
次に、
「また是非、恋愛小説を書いてほしいのです」
そうお願いすると、
「今、書いているところだよ」
これも間髪入れずに答えが返ってくる。私は嬉しくなった。
最後に私は、彼に許可を求めた。
「『赤いスカーフをした、私のタパリョーク』を、日本で出版したいのですが……」
「それには、何が必要なんだね?」
「あなたの許可です」
「それなら問題ない」
言下に彼は答えた。
快く記念撮影にも応じてくれた彼は、別れ際にちょっと考え込んでから、口を開いた。
「原題が長いので、それを直訳しても、日本語の小説の題名としてはたしてふさわしいかどうか...。どうするつもりだ?」
「『いとしのタパリョーク』にします」
私がそう答えると、
「それはいい」
にっこり、彼は微笑んだ。
ふと時計を見ると、予定の会見時間はゆうに過ぎていた。

(チンギス・アイトマートフ著「いとしのタパリョーク」(鳳書房 2000)より(筆者:阿部昇吉))


[3]
「処刑台」 訳者あとがき
チンギス・アイトマートフは1928年にキルギーズ共和国のタラース盆地のシェケル村で生まれた。1928年というと、ソ連では左翼反対派の指導者トローツキイがアルマ・アタに追放され、第一次五カ年計画が開始された年にあたる。スターリン時代の始まりである。...粛清はアイトマートフの肉親にも及んだ。1988年7月11日発行の『アガニョーク』誌のインタヴューで作家は1937年に父親と二人の叔父が抑圧された、と自から告白している。だとすると9歳でスターリン主義の試練に遭い、13歳で15百万人の犠牲者を出した大祖国戦争を体験したことになる。戦後は畜産中等専門学校、次いでキルギーズ農業大学を卒業(1953年)した後、1956年まで畜産研究所の実験農場で畜産技師の職にあった。在学中に文学活動を始め、1952年に地元の新聞に処女作である短篇小説をキルギーズ語で発表している。1956年にアイトマートフは職業としての文学の道を歩むべくモスクワのソ連作家同盟付属文学学校に入学、ここで2年間にわたって学んだ。この間、1957年にソ連作家同盟に迎えられている。今までに発表された作品は1980年発表の長篇『一世紀より長い一日』(飯田規和訳、講談社)を除くと、ほとんど中篇小説で、初期のものはキルギーズ語で発表されたが、1966年の「さようなら、グリサルィ!』(小野理子訳、『ソヴェート文学』19号)以後の作品は最初からロシア語で書かれている。アイトマートフはソ連の各民族共和国出身の作家の多くの例にもれず、バイリンガルなのである。

長篇小説『処刑台』は一昨年、雑誌「ノーヴィイ・ミール」の6・8・9月号に連載、発表された。この作品は扱った題材の衝撃性、内容的にペレストロイカと呼応する時局性、作者がソヴェート社会に向けて放った血と涙のにじむような問いかけなどにより、連載開始と同時に文学界はもとより、一般読者から宗教界までを巻き込む反響を呼び、とりわけ若い層に深い感動と共感をもって迎えられた、と伝えられる。…

革命後70年間に最初の社会主義国家[・ソ連]は干渉戦、大戦、封じ込め政策を耐え抜いて確実に守られたのみか、超大国にまでのしあがり、国内的には餓死する人や住む家を持たない人がいない、金がないために医療や学校教育を受けられない人がいないという意味で、絶対的な貧困は一掃された。だが、このためにどれほどの犠牲が払われなければならなかったか。特に人間の内面生活がどれほどないがしろにされてきたか。ソ連共産党の党員であり、無神論者であるアイトマートフが、無垢と善への志向のみを武器に素手で「国の威信」という名の既成秩序や麻薬犯罪(=俗世の悪)に闘いを挑む元神学生アヴジイ・カリストラートフを主人公に選んだのも、このことと深いつながりをもつと思われる。乖離した内面世界と現実世界の調和と再生はこの作品の主要テーマの一つである。またこれと関連して、小説の題名『処刑台』がキリストの礫刑にも似た主人公の『殉教』を象徴していることは、お読みいただいた方には容易に分かっていただけることと思う。

アヴジイ、グリシャン、カソグーロフ、ボストン、バザルバイ、コチコルバーエフといった各々象徴的な人物と並んで、小説にはもう一組の重要な主人公がいる。それは言うまでもなく、アクバラとタシチャイナルという狼の夫婦である。大自然を具現するこの2頭の狼をめぐる民話風の哀しいバラードは小説の各プロットを糸のようにつなぎ、人間と人間、人聞と自然の相克に悲しみの光をあてている。『処刑台』は「ペレストロイカの小説」とか「ソ連におけるタブーを扱った問題作」とかいった風にセンセーショナルな面ばかりが強調されている観がなきにしもあらずだが、作品の文学性と作家の真骨頂はむしろ狼の生涯をして自然への深い愛情と畏怖とを語ったこの部分に発揮されていると訳者は思う。

人間の文明が自然に対してふるう破壊力を前にたじろぐ作者のもはや怒りを通り越した憂欝な眼差しが見える。多彩な生命の営みを内部に秘めた渺渺たるモユンクムィの大草原、天山山脈を仰ぎ、深く厳しい山塊に真っ青な湖を象嵌(ぞうがん)のように嵌めこんだキルギーズの自然は単に小説中の出来事の舞台であるはかりでなく、アイトマートフが『処刑台』全篇を書くにあたって寄って立つ精神的根拠そのものであるのだから。

(アイトマートフ著「処刑台」(群像社 1988)より(筆者:佐藤祥子))

# by satotak | 2007-06-11 22:47 | キルギス |