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歴史文字とその時代
−古代歴史文字の共通化傾向−


 新疆の歴史文字は、作られた時代、起源、終わった時代、そのプロセスでその文字に依 って作られた文字,その発展などは考古証拠に依って次のように整理する ことが出来ます。

○新疆文字系統図

 系統図に表示された歴史文字は、紀元前から1949年まで2000年以上の間に新疆で 伝えられていた古代著作文字で、以下の22種の歴史言語が記載された。

(1) 古代漢語 (図の@,A)
(2) 古代Tubut (チベット)語(図のO)
(3) 古代Ariyan語 (図のD,R,S)
(4) 古代Pehliwi語 (図のG,K,L)
(5) 古代サカ(Sak)語 (図の(21))
(6) 古代Tohri語 (図の(22),(23))
(7) 近代タジク語 (図の(32))
(8) 古代アラビア語 (図のH)
(9) ユダヤ語 (図のM)
(10) 古代トルコ語 (図のA,E,L,(24),I)
(11) 古代ウイグル語 (図のN,A,I,E,L,(24))
(12) チャガタイ語 (図のJ)
(13) 西夏語 (図のB)
(14) 契丹語 (図のC,F)
(15) モンゴル語 (図のO,(24))
(16) マンジュ (満州族)語(図のP)
(17) シボ語 (図のQ)
(18) 近代ウイグル語 (図の(27))
(19) 近代カザフ語 (図の(28))
(20) 近代キルギス語 (図の(29))
(21) 近代ウズベク語 (図の(30))
(22) 近代タタール語 (図の(31))

 上述の(1)、(2)は漢族−チベット語系に属する。
 (3)、(4)、(5)、(6)、(7)の5種の言語はインド−ヨーロッパ語系 (インド−イラン語も含む)に属する。
 (8)、(9)はHam−Sam語系に属する。
 その他の(10)、(11)、(12)、(13)、(14)、(15)、(1 6)、(17)、(18)、(19)、(20)、(21)、(22)の13種の言語 はアルタイ語系に属する。この中のモンゴル語、満族語、シボ族語以外の10種の言語は アルタイ語系のトルコ語族に属する。
 この10種のトルコ語は12種の文字(図のA、E、L、(24)、I、N、 J、(27)、(28)、(29)、(30)、(31))で記載されていた。この12種の文字の中でウイグル人が使 っていた文字は8種(図のA、E、I、J、L、N、(24)、(27))です。


 新疆には紀元前使っていた文字は3種類ある: 漢字、Karushti文字,Br ahmi文字。この内、漢字は漢の使節と商人が持ってきたのである。後者の2種は タリム盆地の住民が使っていた文字で、タリム盆地の文字である。
 紀元5−6世紀に8種の文字(図のA、K、N、S、(21)、(22)、(23)、(24))が作られ た。

 この内の華夏文字システムに属する漢字に依って古代トルコ−ウイグル語を書くクージュ(高 昌)文字が;Arami文字システムに属するソグド文字に依って古代トルコ−ウイグル 語を書く古代ウイグル文字が;Brahmi文字システムに属するTohri文字 (B)に依ってトルコ−ウイグル 語を書くBrahmi式のトルコ文字が作られた。それから10世紀まで新疆に又5種 の文字(図のG、E、H、L、(25))が伝わってきた。この5世紀の間に5種の文字が 「競馬」に参加していた。

 この時代は新疆で仏教が盛んになった時代でした。この「競馬」の結果をMahm ut Kashgariの「トルコ語大辞典」に拠って理解すれば、当時の新疆にイ ンド−ヨーロッパ語、インド−イラン語で話す民もいた。彼らはもうトルコ語で話せ るようになっていたのである。
 彼らと一緒に生活しているトルコ系住民の言葉も彼らの言葉と混ざっていた状況が形 成していた。Mahmut Kashgariはこの状態を「壊れたトルコ語」と呼 んでいた。つまり、仏教時代にトルコ語で話す住民は同時代の他の住民の言葉から適 当な元素を(勉強して)もう覚 えていた。彼らもトルコ語で話す住民と同民族になっていた。(トルコ語大辞典,3 9ページをご覧ください)。

 10世紀に新疆にイスラム教が伝わってきてからArami文字システムに属するア ラビア文字からトルコ−ウイグル語を書く「カラハン文字」が作られた。それで、ト ルコ−ウイグル語で話す住民は、昔からの仏教を止めてイスラムに改宗するように、以 前の文字を止め始めた。それか ら新疆で紀元前から10世紀まで存在していた他の10数種類の文字は自分の哲学学説 に服務する「バザル」が無くなった為,だんだん無くなる方に向かった。

 14世紀に新疆で大きな文字改革と発展があった。つまりイスラムの哲学と教義を 書くカラハン文字に依って「チャガタイ文字」が作られた。この文字で書かれた著作 の内容はカラハン文字で書かれた著作の内容より豊富で、民向性で、影響は大きかっ たのです。
 現地のインテリはチ ャガタイ文字で母語だけではなく、アラビア語、ペルシャ語で著作を作って、外国に も影響を見せ始めた。この時代とその後新疆に伝わってきた他の文字(図のO、(26)、 M、P、Q)は新疆で現地化のチャンスが出来なかった。政治需要で続いている 文字(例えば、図の@)もそ うです。それは新疆に後で来た他の民が母語を書く文字に限りました。

 20世紀になると、以前のチャガタイ文字に依って5種の文字(図の(27)、(28)、(29)、(30)、 (31))が作られた。それはトルコ語系の色々な方言の表示に合わせられた。


 古代文字を研究しなければなりません。その文字で祖先(或いは同時代の人)が書い ておいたものがあります。それで昔の歴史、文化を研究して、これからも文化を発展 させる為役に立ちます。
 新疆の古代文字を研究するのに、例えば、古代漢字を勉強するのに、現代中国語 を利用して;ソグド、マニ、シリア及び古代ウイグル文字を勉強するのに、現代モンゴ ル文字の形を利用して;Brahmi文字システムの古代文字を勉強するのに、現代イ ンド文字とチベット文字を利用し て;Karushti、Tohri、Sak(サカ)文字で書かれた著作の言葉を研 究するのに、Sanskrit語の辞典を利用して、比較言語学の研究を行うことが出来ま す。

 この文章の主な内容は新疆日報1983年3月22日、7月14日に発表された。

(2000.2.17受、2.27掲)