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ドーム形建物の起原


 新疆ウイグル自治区で見つかるモスク,お墓,メドレス(宗教学校)などは,屋根が ドームの形をしていて,ドームのことをウイグル語でペルシャ語からの「Gumbez,グ ムベズ」と言いますから,一部の人(特に外国人)はドームの形をしている建物 を「イスラム様式」の建物と思っている。
これは歴史現実に合いません。何故なら ば,今の新疆にイスラム教が入る前からドーム形の建物が存在していた。ウイグル人 が仏教を信仰していた時代(10世紀の初めまで)に自分の家などをこういう形で 造っていて,その名前をChedir(チェディル)と呼んでいた。さらにお墓を造 る時にもドーム形を用いていた。(こんなお墓の名前は一部のトルコ族の方言でTowe(トウェ), Dowe(ドウェ)と呼ばれた。
正確に言えば,Chedir(チェディル)形の建物は新疆で昔からのもので,中央 アジアの草原で大昔生活していた古代民族−Ariyan人から遺産として残った伝 統的な建物様式です。

 1976年アクス地区Kelpin(ケッルピン)県「五一人民公社」内のキジルタグ山口 にセメント工場を造る時,土層から三つの陶器の入れ物(人の灰を入れた箱,日本語で舎 利箱?)が出土して,自治区博物館へ持ち帰られた。
舎利箱の上はドームの形をしていて上にも本体にも「MMM」のように飾りがあって 間違いなく山の意味を表している。博物館での舎利箱の番号は[76Kp:1],[76Kp:2], [76Kp:3]で,76は1976年,KpはKelpin県を表します。
「76Kp:3」舎利箱の蓋に真ん中に<l>のある<∩>が記されている。[76Kp:2」舎利 箱の蓋に‘凵fの印が記されている。この印は古代匈奴,突厥部落の部落印に似てい る。昔は上述の民は家の色々な形,そして家畜に印を押して自分のものを分かってい た。「76Kp:1」舎利箱の蓋に‘∩’を繰り返して(仏教の花)蓮の絵 が描かれている。これはこの舎利箱が仏教時代の産物であることを示している。

 これらの舎利箱は紀元Y−[世紀のトルコ人の墓形の一つである。この時代にはア クス地区は西トルコ文化の中心で,当時はトルコ人は遺体を燃やして埋葬していた。 (「周書」,「北朝史」,「隋書」などに記載された突厥についての章をご覧下さ い。)遺体の灰を入れる箱は古代ウイグル語で「Chadar,チャダル」と言う。文 献に載っているこの単語を「Chadir,チャディル」,「Chedir,チェ ディル」とも発音する。{(A.Fon.Gabayinの「古代チュルク語文法」,1974年 Wisbadin(Visbadin?)出版社,333ページ(ドイツ語)}

 古代クセン(クチャ,日本語で亀慈国)で紀元前後に掘り始めた千仏洞の建築様式 はChedir形に属する。紀元V世紀に属する洞窟の壁画にもChedir形の絵 が載っている。トルファン盆地の古墳の一部分はChedir形地下建物に属する。 地上に残っているIdikut(高昌)古城にもChedir形建物の壁跡がある。 火葬に慣れないトルコ人は,お墓の形を生きている時に住んでいた家と同じ形で造って いた。古代トルコ文字にもChedirの形に似ている文字が三つあって,家の意味 をあらわします。古代クセン(亀慈)のお坊さん達もこんな建物をChadra (チャドゥラ),Chatya(チャットゥヤ)と呼んでいた。
Chedir(チェディル)形というのは3種類の形を含んでいる。@屋根は三角 形,A屋根は台形B屋根は半円(ドーム)形。

 Chedirという単語は[−]世紀のウイグル語の仏教文献に「Chadar」 と載っている。11世紀(1075年)にMahmud.Kashgariが作った 「トルコ語大辞典」(1981年,新疆人民出版社,ウイグル文,528ページ)に 「Chater(チャティル)と書いて,Chacher(チャチル)とも言う,O guz(オグズ,トルコ部族の名前)人はChashir(チャシル)と発音する」 と書いてある。チャガタイ語(13〜18世紀のウイグル古典文学語)で,Chdr と書いていたが,発音はChadir,Chedirです。
屋根が三角形,台形,ドーム形の家(建物)を表すchedirと言う単語の時代 による変遷は: chedir(現代ウイグル語)<chadir(チャガタイ語)<chadar (古代ウイグル語,ソグド語)<chadra(古代Ariyan語) となります。

 結論: ウイグルなどトルコ人は,イスラム教が中央アジアに伝わる前から、自分の家, お墓,洞窟,舎利箱などにドームを含めたChedir形の建築芸術を用いてきた。

(1999.11.15受、11.17掲)