e
r
k
i
n

k
a
s
h
g
a
r
i

Tengri Tagと天山

皆さんご存じの「天山」を紹介してあげたいと思っております。

Tengri Tag(天山)は中央アジアの山脈の一つで、5億年前から出来てい ます。 東西2500km、幅が250km〜300kmです。
東にはトルファン盆地(ハミも含めて)、北にはジュンガル盆地、南にはタリム盆地、 西にはフェルガナ盆地(キルギスタンの西、タジキスタンの北、ウズベキスタン)があります。

天山と言う山のことは(色々な漢字で)紀元前3世紀から紀元19世紀まで 2000年以上の歴史プロセスの中で中国語文献に載っている。
西漢、東漢(前206年から紀元220年)の時代の文献にはこの山のことは 「北山」と書いてある。魏、晋、南北朝時代(220年〜589年)の文献には この山のことは「貪汗山」(TanHanshan)と書いている。 隋、唐朝(581年〜907年)の時代の文献にはこの山のことは「白山」、 「析羅蔓山」(Xilomanshan)(蔓は草冠無し)、「阿羯田山」(Ahe tianshan)、「天山」(Tianshan)と書いている。
宋、元、明朝(960年〜1644年)時代の文献には「天山」と呼んだほかに、 「縢乞里塔」とも書いている。 清朝(1644年〜1911年)時代には「天山」(Tianshan)と言う名前 がほとんど普及されて、日本語にも入っている。それで中央アジアの トルコ系民族の言葉にも「逆輸入」されて「Tianshan、ティヤンシャン」と 呼ぶ人も増えて来ました。

唐朝の時書かれた「地理詳述」と言う本の「Li Guangli誌」にZheng yi、Suoyin(人名)の説明があって、「北山には冬も夏も雪が積もっている。 匈奴(ウイグル語でHon)がそれを天山(Tengritag)と呼んでいた。」 と述べた。 有名な歴史家司馬遷の「史書、匈奴伝」に「匈奴が(天、神様)を 「縢犁、tengli」と言います」と書いている。

紀元前3世紀頃天山地方は匈奴の支配下にあった。それから2300年の間に この地区で匈奴、トルコ、ウイグルなどのトルコ語で話す民が多数を 占めていました。匈奴語で神様のことは「Tengri」と言いました。 天山の辺りで生活してきた匈奴などが天山から鉱物、水を取って遊牧生活を したり、オアシスを作ったりして、「天山が無ければならない」と思って、 それを大切にして「Tengri.tag、意味は神様である山」と名付けしたので ある。
「天山」はその意訳です。

雪山だったから「白山」、阿羯田山」(Ahetianshan)、 (akは白い、田山は天山と同じ発音の当て字です)と、 タリム盆地に入って北側にあったから「北山」と、コンロンは南にあったから 「南山」と、中原から来た旅人は自分の地理的な知識次第に色々書いておきました。 貪汗山」(TanHanshan)と言うのはウイグル語の 「Tengri.han.tag(意味は神様、王様、山)」から来た当て字です。
「析羅蔓山」(Xilomanshan)と言うのは紀元前3世紀までタリム盆地で 生活していた祖先であるAriyan人の言葉で、Shiramanと言う単語から の当て字です。Shiramanの「Shir」はAriyan語で「行く、移動す る、旅する」と言う意味です。Ariyan人は当時優れた民族で、宗教、文化を旅のお陰で 伝えていたのです。Ariyan人の知識人はShiramanと呼ばれた。 天山も大切にして「Shiraman.Tag」と呼んでいました。
今でも「Han.tengri」{(ハン.テングリ、「ハン」は王様、 或は敬語、「テングリ」は神様のことです。}と言う名前の峰があります。

(1999.11.3受、11.6掲)