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Mahmud Kashgariとトルコ語大辞典


1.Mahmud Kashgariのお墓

新疆ウイグル自治区カシュガル地区トックザク(疏府)県 [トックザクと言う地名のtokkuzは9、sakは昔のサカ人(サカ族)のことで、9人のサカ人という意味です] のOpal(オパル)郷の北側にある Hazriti Mollam山の麓に、11世紀の有名な言語学者Mahmud Kashgariのお墓があります。このお墓はカシュガル市から45Km西(パミル高原に行く途中)に位置しています。
オパル郷はカシュガルからパミル高原に行く時に最後のオアシスで,月曜バザルです。

お墓は玄関、庭、モスク、墓室(お祈りに使う部屋もある)、「ハイハイテレック」(泉と11世紀のポプラ)などがあります。外から入ると庭にMahmud Kashgariの像があります。玄関、モスク、墓室などはウイグル・イスラム様式の建物です。

[ 写真がこちらにあります。]


2.Mahmud Kashgariとトルコ語大辞典

Mahmud Kashgariの生涯

Mahmut Kashgari(1008年−1105年)はカシュガルを都にしたカラハン王朝(819年−1218年)の王様のHuseyin binni Mohammad(1057年)の孫で、お父さんのAmir Huseyinは今のキルギスタンのイシクコル湖辺りの総督でした。カシュガルの皇族学院を卒業してから都で文化研究をしていた。ウイグル語を含めたトルコ語は勿論、アラビア語、ペルシャ語が上手だったのです。

1058年にカラハン朝の王様(Mahmud Kashgariのお祖父さん)が亡くなってから,宮殿で政変が起こって兄弟達が王位を争っていた時に、Mahmud Kashgariのお父さん(Amir Huseyin、エミール・ホセインさん)が毒殺されてしまいました。それからMahmud Kashgariは王位に座るよりも自分の研究を続けようと思って、カシュガルを離れて1058年から1072年までカシュガルから東北の方向をはじめ、中央アジア、西アジアまで突厥(トルコ各部族)の住んでいる所に行って、トルコ民族の言語、歴史、諺、歌、地理、習慣などを14年間調べました。

それから1072年にその時代のイスラム文化の中心の一つであったイラクのバグダト(Bagdat,Baghdat?)に行って、1072年から1075年まで母語の「トルコ語大辞典」をアラビア語で書いて、イラクの当時のAbbas王朝のハリファであったAbu.Hashim.Abdulla.binni.Mohammad.Muhtad(1075年―1094年在位)に「プレゼント」として上げました。イラクの王様が喜んで、「イラクにいて研究を続けて下さい」と言ったが、1080年までバグダトにいて、1080年72歳になってから、やっぱり故郷のカシュガル(カラハン)に帰りたいと思って戻ってきました。

帰国してからカシュガル市から40km西にある「Opal」オパル郷(Mahmut Kashgariの故郷)で学校を設けて、イスラム教、アラビア語、ペルシャ語、地理、文学など色々授業をして、1105年97歳で亡くなってオパルに埋葬されました。

ウイグル人はその偉大な学者を尊敬して1980年まで「HEZRITI MOLLAM」(意味は尊敬する先生)と呼んできた。1980年からその「トルコ語大辞典」にあったサインの通りに呼びましょうという呼び掛けから,皆「Mahmut Kashgari」と呼んでいます。正式な名前はMahmud Binni Huseyin(Huseyinの息子Mahmud) Kashgariです。Mahmud Kashgariはトルコ語大辞典をイラクの都バグダット市で書いたので、「Mahmud Huseyin」とサインしたら、それはアラビア人かペルシャ人か判らなくなるので、故郷のカシュガルを表す為に「カシュガリ」を付けておきました。世界で今略して「マハメッド・カシュガリ」と呼んでいます。

トルコ語大辞典

Mahmud Kashgariが「トルコ語大辞典」を書いてトルコ人を世界に紹介した。1266年8月今のシリアのDamashik(ダマシック?)に住んでいたカシュガル人学者のMohammad.ibni.Ababekri Abilfethiによって(Mahmud Kashgariのオリジナルから初めて)書かれた「トルコ語大辞典」のコピーが、現在トルコ共和国イスタンブール図書館で保管されています。
1915年トルコで「トルコ語大辞典」の13世紀のコピー(手書きもの)が出版されてからMahmud Kashgariとトルコ語大辞典が世界に知られ始めた。その後他の言語でも出版が始まったのです。1928年ドイツで「トルコ大辞典」がドイツ語のアルファベットの順番で(解釈版が)出版された.。1941年トルコ語で「トルコ語大辞典」の解釈版が出版された。1960年からウズベキスタンで「トルコ語大辞典」のウズベク語解釈版が出版された。1980年から新疆ウイグル自治区で現代ウイグル語版(3冊)が新疆人民出版社によって出版された。その他にカザフ語、キルギス語、ハンガリー語、アラビア語..などに翻訳されています。中国語版は翻訳中です。(今年出来るかな?)。日本語は未だです。

「トルコ語大辞典」には12世紀頃までの中央アジア トルコ民族の地理 [上述の辞典に世界地図も(丸い形で)載っています。現代の地図と違って上は東になっています、それで日本国は地図の一番上にあって「JABARKA、ジャバルカ」と書いてあります。1000年前にウイグル トルコ人が貴国のことをジャバルカと呼んでました。今はヤポニヤと呼んでいます。]、歴史、言語、文字、人種、民俗、天文、農業、手工業、医学、及び政治、軍事、社会生活などが載っています。この辞典には(当時のウイグル語のアルファベットの順番で)民歌が242首、名言、諺が200以上、単語が7500個が書かれています。この辞典は中央アジアのトルコ系民族を研究するのに無ければならない百科辞典(百科事典?)です。Mahmut Kashgariを知らなければウイグル(トルコ人)は知らず、と歴史家が言ったとおりです。
チャンスがありましたら、Mahmud Kashgariの故郷であるカシュガルにいらっしゃって、トルコ語大辞典を読んでみてください。

(2000.2.25受、2.26掲)