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「ウルムチ」という地名

新疆ウイグル自治区の省都である「ウルムチ」と言う地名について説明して上げたいと思っています。
20年前から新疆に団体旅行で来た方はご存じだと思いますが、ほとんどのガイド達が「ウルムチ」はモンゴル語で、美しい草原と言う意味を表します、と説明して来ました。
本当ですかな? ...間違いです!

ウルムチ辺りの古墳から出土した古代の細石器と色付きの陶器に表された考古学的な 資料によれば、ウルムチは3000〜4000年前から我々の祖先が生活していた賑 やかな所でした。紀元前3世紀にこの辺で生活していた民族の名前は「Sak、サカ (中国語で賽種人)」と呼ばれた。その後、紀元4世紀までトルファン盆地から昌吉 (サンジ、昔はYangi Balik(新しい町))平野まで生活していた民族の 名前は「Kosh、コシ(中国語で車師)」で、そのコシ人の都はトルファンのヤル グル(交河)古城とジムサル(Bogdaコル湖、中国語で天池、の北にある)に あった。その時ウルムチは二つの都の間の要地(町)でした。

紀元7世紀になると655〜660年ごろ西トルコ政権が唐朝に倒されてから、輪台 に都護府が設けられた。(唐史を御覧下さい)が、今の研究者はその都護府の場所は ウルムチから昌吉(Yangi.Balik)の間にあった、と見なしている。紀元 9世紀の前後ウルムチはウイグル王朝の範囲にあった。この王朝は「Besh.Ba lik、5つの都市」とも呼ばれた。ウルムチはそのベシ.バリック(5つの町)の一 つ(ハン.バリック)だった。

1761年清朝はウルムチで軍事城を築いて五年後に「迪華」と名付けた。1884 年清朝が新疆省を設けて、迪華をその新疆の政治、経済、文化中心とした。(迪華と は新疆の民を慣れさせる、大人しくするなど軽視の意味を表した)。1949年新中国 が出来てから迪華と言う軽視の意味の地名はキャンセルされて、昔のウルムチと言う 名前に戻した。 

925年サカ文字で手書きで書いて敦煌で保存された文献にトルファン(正確な発音 はトゥルパン)、イルミチナと言う地名が載っている。「Urumchi、ウルム チ」と言う単語は10世紀前仏教時代にウイグル語にSansikirit語から 入って来た外来語で、Iru(葡萄)、china、或はジナ(森、林)、mは名詞 が主語になった時、或は複合詞を作る時の語尾です。ウルムチと言う単語は(Iru mjina、Irumqina)から出来た地名で、当時のウイグル語で3つ以上の 音節から出来た外来語の一つの音節を捨てる習慣が有ったので、irumjina (イルムチナ)(当時「チ」と「ジ」は同じの文字で示した)は「ウルムチ」と発音 されるようになったのです。


歴史家、地理学者のHuang Sheng Zhang先生の「中央アジア文化を 研究する協会の第一回学術討論会」に出した論文に拠ると、ロシア人のStayol.Halistoy先生の「敦煌から収集された古代手書き文献集」にあるサカ文 字で書いた文献が1925年ヨーロッパで研究された。その文献の第22行に 「Irumjina」「Turpan」と載っている。時代は925年です。
そしてモンゴル人が新疆に来たのは13世紀のことです。「ウルムチ」はモンゴル語 ではありません。
ウイグル語で、ブドウのある森、林と言う意味をしている地名です。ウルムチの地下は石炭でいっぱいです。

(1999.11.4受、11.5掲)