e
r
k
i
n

k
a
s
h
g
a
r
i

「ウイグル」と言う名前


 歴史家が20世紀の20年代から「ウイグル」と言う名前について研究を始めた。

1. 20世紀の20年代にRadlof先生は:
...彼ら(ウイグル人、伝説のトルコ語で話す民の祖父)は「神様」を信仰する 為に自分の叔父さん達、友達など多くの部族と戦争しなければならなかった。戦争中 にその民の一部は祖父に協力し、一部はそれに反対して戦って負けてから服従した。彼らは勝利を勝ちとってから、勝利式を行って自分の民と部族のアクサカル(知事、リーダー)、戦士達を誉めて、統一したこの部族等の名前を 「ウイグル」と呼んでいた。この名詞は「連合した人達」、「協力した人達」と言う 意味を表していた。それからこの名前を部族連合に参加した民だけではなく、彼らの 部下、子孫なども自分の名前と用いてきた。...
 Radlof先生はこの定義を西暦16世紀に書かれた「Tarihi Rashid iye」(ラシード史)の第一章を参考にして「Kut Atgu Bilik」 (中国語に福楽智恵と翻訳された、意味は幸せを与える知識)の為書いた「前書き」 を通して発表していた。その後、この定義を証拠とする人が増えた。

2. 上述の定義の前に17世紀の歴史家のObulghaziさんは「Sheje re’i Turk」(突厥部族史)と言う本に:
...Oghuzhan(オグズハン) は彼らに「ウイグル」と名前を付けた。これは突厥語で、「ウイグル」ということはみ んな知っている「集まる」、「固まる」と言う意味である。ミルクは固まったらヨーグルトに なる。それに似ていることだ。...
と説明していた。

3. 上述の定義以前、西暦11世紀に言語学者Mahmut Kashgariが書 いた「トルコ語大辞典」に:
Zulkerneyin(アレクサンダー大王)がトル コ国に近づいた時に、トルコ王はそれに抵抗する為に4000人を派遣した。彼らの 帽子は鷹の翼に似ていて、弓の弾を前方と同じように後ろにもその水準で上手く打っ ていた。Zulkerneyin(アレクサンダー大王)はこれを見て驚いて、 「Inan Huzhurend」(意味は、彼らは<他の>人に依らず、自分の食料品 を取って食べられる人達だ、彼らの前から野生動物は逃げられそうもない、好きな時 に取って食べられる。)と述べていた。
「トルコ語大辞典」にMahmut Kashgariさんは「Huzhur」という単語の音便規律について説明してあ る:「H」は「i」に、「z」は「y」に、「h」は時には「gh」に変わることも 常にある。そして「Huzhur」は「Uigur」(「Uyghur」?)になっている。

4. 上述以外に中国語の文献に次のようなものがあります。
...元和の4年(西暦809年)(ウイグル国家の王様)葛徳葛里禄没弭施合密毘 迦可汗(ハカン、或はKaghan)は中国の帝王に「我々の民族名を鷹のように飛 べる廻鶻と言う字で表して下さい」と伝えました。(旧唐史、195 ページをご覧下さい)
 「資治通鑑」の235ページに、「この言葉が真元の5年(西暦789年)発表さ れている」と述べている。

 ウイグルの名前について発表された文献は以上の内容です。

(2000.1.27受、1.29掲)